まきの場合

仕事子育てマンガNissyについて個人的な見解を。

「頑張ることができてない」というパワーワード

推し(当時32)が、

「今全然頑張るってことができてない」

と言うドキュメンタリーの一幕がありまして。

 

この言葉が、

アラフォーな私にいまじわじわと来ています。

 

おっしゃった本人の真意は知らんし、

スケールが違いすぎるけど、

この言葉を通して気づく、

最近のことを書きます。

オチはねえ。

 

私も最近、

「頑張ることができてない」

と思うこと多数。

 

私けっこう恵まれた環境で育ったし、

健康状態も良好で、

頑張ってないなー

と思うことは多々あれど、

「頑張ることができてない」

と感じたことはなかった。

 

前者と後者には明確な違いが実はあり、

前者は「やりゃできるのにやってない」くて、

後者は「そもそもできない」のよ。

 

30代の頭くらいまで気づかなかったけど、

「そもそも頑張ろうにも無理」ということが、

あるのね、これが、世の中には。

 

で、その気づきこそが、

衝撃だったアラフォーのわたくしです。

 

推しがこう言っていたのは、

健康上の理由ゆえだと思われる。

 

私も大部分はそうです。

34で出産後のダメージと

老化ファーストステージらしきものがきて、

こりゃもうやばいもの。

動けん。

あとは、子供がいれば時間的制約も大きい。

 

頑張ろうにも、

リソースを全振り出来ないし、

そもそもリソースがねえ。

 

これは、今まで

リソースをけっこう抱えていて、

頑張る=リソース全振り

という発想だった私には、

とても戸惑う変化だった…。

 

もちろん今までもいろいろあったけど、

それは「がんばりようによってはなんとかなる」と思える程度の話だった。

それとは根本的にも違う変化だった。

 

まあね、

そもそもそんなに頑張らなくても

いいんですけど

と、頭ではわかる。

他人には言える。

 

でも、

頑張れなくなって、

気づいたのは、

「頑張ってる私」を柱に、

今の私が成り立っているという自分の発想。

 

頑張ってるから、

(仕事上で)人に指摘ができる、

世の中に意見を言える、

休みが取れる、

みたいな。

 

いろんな権利が、

頑張ってるという義務を

果たしている上に成り立ってる的な。

 

あーもうこれ、

まさにこの国に蔓延する

自己責任論の呪いに完全にかかってるじゃん!

 

と、わかってきても、

 

頑張ることができなくなったら、

なんか弱気になる。

 

リソース全振り、

家庭を顧みない働き方は、

サスティナブルじゃないし、

まったく反対だけど、

それすら実は自分が頑張れないことの

正当化なのではと思って、

強く言えなかったり。

 

まあでも、気づくことが第一歩よね。

 

自分が勝手に呪われてる分には

構わないと思うんだけど、

それに家族や部下を巻き込まないのが大事。

(もう手遅れなこともあるけど!)

 

次のステップとして、

「頑張らなくてもOK」と思える

というのがあるけど、

ここは今足を踏み出したところで。

2年かけて一進一退。

 

これはまた別の話で。