まきの場合

仕事子育てマンガNissyについて個人的な見解を。

親しい友人を亡くして思うこと

親しい友人が、一昨日息を引き取りました。

学生時代から何年もずっと連絡を取り会い続けた数少ない友人でした。

 

体調が悪いとは聞いていましたが、

まさか亡くなるとは思わず、

この一年は私の出産育児もあり珍しく疎遠になっていた、

そんな時でした。

 

亡くなった連絡はご家族からいただきました。

親しい友人にも知らせてほしいと、

そんなご連絡でした。

 

いつも「私の役割は人と人とを繋ぐこと」と言っていた友人の、

その言葉を思い出し、

ご無沙汰をしていた友人たちに久々の連絡をしました。

その友人たちの多くは、まさにその友人が繋いでくれた縁。

そういえば、旦那さんとの縁も、

もとはその友人が繋いでくれたのでした。

有言実行、縁を繋ぐ人でした。

 

まだ信じられない気持ちです。

そのうち「はろはろー」とメールが来て、

美味しいご飯屋さんで待ち合わせ、

いろんな話ができるような気がします。

 

友人とは、会うたびにマシンガントークでした。

大学帰りの仙川のスタバ、

会社帰りの恵比寿のカフェ、

旅行先のグアムのホテル、

行きつけの表参道のカレー屋。

仕事、趣味、ファッション、他愛もない話、未来のこと。

友人との会話で気づかされたことで、

今の私の人生観の8割は出来ている気がします。

これからもそうやって語りながら、

一緒に歳を重ねていく、なんて、

わざわざ考えもしないほど、当たり前のことでした。

 

でも、急にNissyが出てきますが、

「極端な話、明日どうなるかなんてわからない」

と彼がドームで言っていたまさにそれです。

 

一昨年、共通の友人を癌で亡くしました。

私たちよりさらに若い男の子でした。

その時にも何があるかわからないねと、

なんか色々決意して語り合いました。

 

なのに、私は全然変われてなかったなと、

今改めて思います。

 

友人はきっと、

そのあとリアル「明日はわからない」ことになり、

その中でたくさんアクションしていたのに。

 

私はただ変わりたいと思っているだけで、

何も出来ていなかった。

(一応死ぬ思いで出産子育てはしてきました)

 

いろんなことを言って、

いろんなことを考えてきました。

けど、今思えば何一つ行動しなかった。

明日がわからないって心の底から思ったら、

考えてる場合でないのでは?

と真剣に思いました。

 

友人のことを残したくてこの記事を書きました。

 

「行動しよう」

この言葉でその記事を締めくくりたいと思います。